第12話 「中世のキリスト教会における聖週間」第7回演奏会より

キリスト教会の暦では「クリスマス(降誕祭)」と並んで重要な聖節に「復活祭」があります。クリスマスは12月25日と決まっていて豪華なイルミネーションやパーティ、プレゼントなどコマーシャルにあおられた華やかさばかりが目につき、本来の主イエス・キリストさまの誕生日という意味が薄らぐ気がしますが、日本人にはなじみの深いものです。一方、復活祭のほうは日曜日(主日)に祝されると曜日は決まっていますが,3月23日から4月26日の間で月暦により決定されるためクリスマスに比べなじみが薄い印象はあるものの、どこか神秘的で敬虔さにあふれた雰囲気を私は感じます。

この復活祭がどれほど重要かというと、キリストの受難と復活は聖書の中に繰り返し記載される出来事であり、このキリストの受難による「あがない」、つまり世の人々の罪の償いこそキリストの教えの大きな根幹をなすものと考えられるからです。復活祭直前の1週間を聖週間と定め、この間はキリストの受難と復活という重要な出来事を思い起こす典礼が中世のキリスト教会では行われてきました。

復活祭の1週間前の日曜日を「枝の主日」と称し、ミサのなかではイエスのエルサレム入場の様子が朗読されました。本日演奏する「Pueri Hebraeorum/ヘブライの子供らは」の場面です、イエスがエルサレムへ来ると人々は自分の衣服を道に敷きつめて賛美します:ダビデの息子に栄えあれ、主の名の元に来たるものに祝福あれ!

また復活祭前の木曜日は「聖木曜日(洗足木曜日)」とされ、聖書では最後の晩餐の日にあたります。ダビンチの壁画で有名な場面です。洗足木曜日とはイエスが最後の晩餐の前に弟子たちの足を洗ったことに由来し、中世では貧しい人々の足を信者たちが洗ったそうです。

翌金曜日は「聖金曜日」で、イエスが捕らえられ十字架に磔にされた日です。本日の演奏曲では、聖金曜日のレスポンソリウム「Tamquam ad latronem/あたかも盗人を追うがごとく」、そして、咎めの交唱(インプロペリア)「Popule meus/ああ我が民よ」があります。

続く土曜日は「聖土曜日」とよばれ、聖書の物語ではイエスの埋葬の場面にあたり、また中世の教会では主の復活を願って夜通し祈りをささげたそうです。本日の演奏曲の中では「O vos omnes/おお道行くすべての人よ」、「Ecce quomodo moritur/見よ、正しき人の最後を」が歌われます。

そしていよいよ主日・日曜日(復活祭)はキリストが復活される日です。聖母マリアもまた賛美され歌われますから、「Ave Maria/アヴェ・マリア」もふさわしいと考えられます。

解説集